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【長島発!】桑名ゆかりの山下清

[2021年1月20日]

ID:870

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【桑名の魅力再発見】桑名を訪れた山下清

人気テレビ番組『裸の大将放浪記』のモデルとなった放浪の画家山下清(1922~1971)は、大正11年(1922)3月10日に東京府東京市浅草区田中町(東京都台東区日本堤)に生まれました。

山下家はもともと新潟県佐渡郡新穂村(現在の佐渡市)の地主でしたが、伯父が破産したことから母ふじは東京に出て料理店で働いていたところ、同じ新潟県出身の料理人岡本清治と出会い、清が誕生しました。

大正13年(1924)の関東大震災によって焼け出されてしまい、一時は新潟市に移ったものの、大正15年(1926)に再び浅草に戻りました。

しかし、昭和7年(1932)に父が亡くなり、清は母方の山下姓を名乗り、昭和9年(1934)に千葉県東葛飾郡八幡町(現在の市川市)の救護施設(現在は福祉型障害児入所施設)「八幡学園」に入所しました。

八幡学園において貼り絵を学んだ清は才能を見出されましたが、昭和15年(1940)11月18日の早朝に放浪の旅に出かけてしまい、以降は気ままな放浪生活を繰り返しました。その間、各地で展覧会が開催されたことから、全国にその名が知れ渡りました。特異な才能から日本のゴッホとも呼ばれ、清をモデルとした舞台やテレビドラマは国民的人気を誇りました。

昭和39年(1964)からは東海道五十三次をテーマに東京から京都へと順に描いていましたが、熱田(愛知県名古屋市熱田区)を完成させた昭和46年(1971)7月12日に東京都練馬区谷原の自宅で脳出血のため49歳で亡くなりました。

残念ながら桑名から京都三条大橋までは完成に至らず、東海道五十三次は未完に終わったかに思われましたが、死後2年を経た昭和48年(1973)のアトリエ整理の際に桑名以降の作品が見つかり、貼り絵にはならなかったものの、下書きがすべて完成していることが分かりました。

山下清の家系図

山下清が描いた桑名

 昭和39年(1964)、清はシリーズものの大作の制作を志し、「ゆっくり旅ができるならやってもいいな」と語って「東海道五十三次」に取り組み始めました。最初は皇居前広場(東京都千代田区)からスタートし、それぞれの場所でコメントをのこしています。「舟でくる町」と題された桑名を描いた作品では、以下のように記しています。

「海のそばに お宮もないのに鳥居があるのはどうしたわけかときいたら 昔この町にくるには名古屋から舟でくるんで 伊勢神宮におまいりにくる人に そろそろ近づいたぞと知らせるために鳥居があると聞かされた 昔の人はこの鳥居をみると もうすぐだと思ってほっとしたんだな ぼくにはなんの気もおきないな 川のそばによその家の裏口がならんでいて 川にうんこ舟みたいなのがずらりとならんでいるのが おもしろいな」(ステップ・イースト編『山下清の東海道五十三次』山下清作品管理事務所発行)

 桑名では七里の渡しにある伊勢神宮からもらいうけた伊勢国一の鳥居が気になったようで、その理由を尋ねています。「なんの気もおきな」かったようですが、歴史ある桑名の風景についての清独特の捉え方を個性的な表現方法で伝えています。桑名の絵は風情ある城下町の堀を描いており、家の裏口から下りる階段の付いた石垣の光景は今ものこっています。清が訪れ、描いた桑名にぜひ一度お越しください。

 余談ながら、四日市「石油工場」では、さらに率直な表現でコメントをのこしていますので、最後に紹介しておきます。

「こんなところ 絵になるかどうかわからんな 石油というのはガソリンのもとだな 石油やガソリンは作るときもつかうときも けむりやにおいがでるもんだな 四日市の人は石油をつくってもうけてるのかな 自分がもうかるんでなけりゃがまんできないものな」(『同』)


山下清の放浪の旅

 山下清の放浪の旅先と主な生活場所は以下の通りです。

 昭和15年(1940)11月~昭和18年(1943)5月  千葉県

 昭和18年(1943)5月~10月  東京都新宿区の母の家で生活

 昭和18年(1943)10月~12月 千葉県市川市の八幡学園で生活

 昭和18年(1943)12月~昭和21年(1946)1月  千葉県

 昭和21年(1946)1月~6月  母の家で生活

 昭和21年(1946)6月~昭和22年(1947)5月  千葉県、埼玉県、栃木県

 昭和22年(1947)5月~8月  母の家で生活

 昭和22年(1947)8月~昭和23年(1948)3月  千葉県、埼玉県、栃木県

 昭和23年(1948)3月~6月  母の家で生活

 昭和23年(1948)6月~昭和24年(1949)1月  千葉県、埼玉県、栃木県、茨城県、福島県

 昭和24年(1949)1月~5月  八幡学園で生活

 昭和24年(1949)5月~9月  千葉県、茨城県、福島県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県

 昭和24年(1949)9月~昭和25年(1950)5月  八幡学園で生活

 昭和25年(1950)5月~11月  千葉県、埼玉県、茨城県、福島県、栃木県、群馬県、山梨県

 昭和25年(1950)11月~昭和26年(1951)5月  八幡学園で生活

 昭和26年(1951)  千葉県、茨城県、福島県、宮城県、山形県、福島県、栃木県、群馬県、東京都、神奈川県、熱海~門司まで鉄道利用、福岡県、大分県、宮崎県、鹿児島県

 昭和27年(1952)  鹿児島県、熊本県、福岡県、門司~東京まで鉄道利用、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、山梨県、東京~門司まで鉄道利用、福岡県、大分県、宮崎県、鹿児島県

 昭和28年(1953)  鹿児島県、熊本県、福岡県、山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、京都府、岐阜県、福井県、石川県、富山県、新潟県、富山県、石川県、福井県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県、山口県、福岡県、大分県、宮崎県、鹿児島県

 昭和29年(1954)1月~4月  八幡学園で生活

 昭和29年(1954)4月~12月  関東、甲信越、近畿、四国、九州

 昭和30年(1955)1月~6月  九州、山陰、近畿、北陸、東北、北海道

 山本由佳・石川衣紀・高橋智「山下清と自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)に関する検討」(『東京学芸大学紀要 総合教育科学系 67(2)29-51』所収)を参考に作成