桑名市長島B&G海洋センターの「人魚」モニュメント
長島デイサービスセンターほほえみと同敷地に所在する桑名市長島B&G海洋センター(桑名市長島町松ヶ島59番地)のフェンスには人魚のモニュメントがあります。
じつは伊勢湾周辺には人魚にまつわる言い伝えが数多くのこされているんです。
最近は新型コロナウイルス感染症のため人魚のようなアマビエがもてはやされています。
わたしたちの身近に人魚がいたかもしれないとなると、なんだかとっても素敵なお話ですね。
そこで、今回は伊勢湾の人魚伝説についてご紹介します。
〇津市河芸町中別保の人魚 12世紀 平安時代
三重県内で最初に人魚が見つかったのは、平安時代の崇徳・近衛天皇の御代(保安4年(1123)1月28日~久寿2年(1155)7月23日)です。
『古今著聞集』によれば、伊勢国別保(津市河芸町中別保)において漁師の網に頭は人、口は猿、歯と体は魚の「人魚」が3頭かかりました。
漁師が近寄ると涙を流して大きな声で叫び、まるで人のようであったといいます。
漁師たちは伊勢平氏の棟梁平忠盛(平清盛の父)のもとへと持ち込みましたが、受け取らなかったため、切り刻んで食べたところ美味であったと伝わります。
この伝説にもとづいてマリーナ河芸(津市河芸町東千里)には人魚のモニュメントがあります。
〇伊勢市二見町の人魚 14世紀 南北朝時代
次いで延文2年(1357)4月3日、『嘉元記』によれば伊勢市二見町の二見浦で人魚が出現したといいます。
〇津市安濃町の人魚 時期不明
また津市安濃町草生には17歳の娘「お里」が村人に出された人魚の肉を食べたところ不老長寿となりました。
村人たちはいつまでも美しいお里をうらやみましたが、しばらくすると気味悪がったために、お里は諸国放浪を余儀なくされました。
お里は何百年か後に故郷に戻って亡くなったといいます。
津市安濃町にはこのような八百比丘尼(やおびくに)伝説がのこされています。
〇愛知県春日井市白山町の人魚
円福寺のすぐ近くの海で体は魚、顔は人の人魚が捕れ、その肉を食べた少女は老化せず、諸国を放浪し、800歳のとき若狭国(福井県)で洞窟に入って行方知れずとなった。
〇愛知県一宮市桜の人魚
尾張国金光村(一宮市桜)の人が若狭国を訪ねて泊まった宿の老女が同郷出身であったが、その思い出話は数百年前のことであったことから事情を尋ねると、人魚の肉を食べた八百比丘尼であった。
〇愛知県一宮市浅井町尾関の人魚
尾張国黒岩村(一宮市浅井町黒岩)の人が若狭国小浜の空印寺を訪ねたところ、隣村の尾関出身という清山尼と出会った。しかし、清山尼が語る思い出話は八百年も昔の話であり、事情を尋ねると八百比丘尼であった。
〇愛知県犬山市今井の人魚
尾張国今井の人が尾鷲(三重県尾鷲市)を訪ねてもてなしを受けたところ、赤子を料理しているところを見つけ、逃げ帰った。しかし、着物の袂に入れられていた肉を娘が食べてしまい、800年以上も生きることなり、娘は万願寺に入って尼となった。
〇岐阜県下呂市馬瀬中切の人魚
中切村で酒屋を営む次郎兵衛のもとに小僧に化けた川魚が訪れ、竜宮の祭りで用いる酒を求めた。次郎兵衛がこれに応じたところ、竜宮に招かれ、帰り際に乙姫から「聞き耳の箱」を受け取ったが、その中に入っていた人魚の肉を食べた娘が800歳まで生きた。
このような人魚伝説はイルカ、ジュゴン、オオサンショウウオなどがモデルではないかと言われています。
伊勢湾にはスナメリをはじめとしたイルカのなかまが多く生息しており、桑名市の沖合でも多くみられます。
ジュゴンは沖縄県で生息しているイメージですが、かつては伊勢湾にも生息し、古代遺跡からはジュゴンの骨も見つかっています。
オオサンショウウオは絶滅が危惧されていますが、岐阜県郡上市の長良川水系の上流域などに生息しています。
イルカやジュゴンは上半身が人、下半身が魚というアンデルセンのおとぎ話に出てくるような西洋由来の人魚のイメージに結び付きます。
一方で、日本古来の人魚のイメージは四本足が生えた魚であったようで、こちらはオオサンショウウオが近いイメージです。しかし、時代が下るとともに西洋のイメージに近づいていくのは不思議ですね。
日本では各地で人魚の目撃情報や八百比丘尼にまつわる話が伝わっています。アマビエ、アマビコ、アリエなどの人魚に類する伝承も同様です。
このように伊勢湾周辺には多くの人魚が見つかっているのです。なんだかとってもロマンチックな伝説ですね。
社会福祉法人 桑名市社会福祉協議会 長島支所 長島通所係
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